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コンバースの歴史
歴史の幕開け 1908年。アメリカ マサチューセッツ州。
バスケットボールというスポーツが誕生したこの地に一つのゴム製造会社が設立される。その名は
「コンバース・ラバー・カンパニー」。創業者は「マーキス・ミルズ・コンバース」だ。同年11月17日
同州モールデンに工場を完成させると防水ブーツなど作業用のゴム靴を製造、好評を得るとともに会社も急成長を遂げる。
事実当初は15人の従業員と共にスタートした会社は、2年後の1910年には360人にも増え、1日の製造量は400
0足に達していた。
誕生!!伝説の銘品。 1917年4月2日。この日はコンバース
にとって歴史的な記念日となる。伝説のバスケットボールシューズ、そして世界で最も愛されるスニーカー
「キャンバス・オールスター」の原型となるモデルが始めて生産ラインに乗った日である。
バスケットボールという競技が「ジェイムズ・ネイスミス」によって考案され1981年12月21日、
マサチューセッツ州スプリングフィールドにて世界で始めてその試合が行われてから25年あまり。全米に競技人口を増やし、
バスケットボールが多くの人々に認知され始めたまさにその時期に、しかも同じマサチューセッツで誕生した
オールスター。それは時代が求めていた運命的な1足だった。
チャックテイラー
名作誕生の翌年コンバースはまたもや運命に導かれるように一人の名バスケットボールプレイヤーとの出会いを果たす。
彼の名は「チャールズ・H・テイラー」通称チャック・テイラー。「オールスター」の優れた機能とそのスタイルに
惚れ込んだ彼は、更なる改良のためアドバイスを提供したり、全米中でバスケットボール・クリニックを開き、
バスケットボールの、更には「オールスター」の普及に努めた。その長年にわたる功績を称え「オールスター」
のアンクルパッチには彼の名が刻まれている。
表舞台と裏舞台
1936年のベルリンオリンピックでは、バスケットボールが初めて正式種目となりコンバースはUSチームをサポートする。
チーム全員が「オールスター」を着用し見事金メダルを獲得したことにより、「オールスター」は世界中で注目されはじめる。
その後1939年には第二次世界大戦が勃発。コンバースもそれまで培った技術で米軍用の靴を数多
く納品することとなる。また1940年にはコートシューズ「スキッドグリップ」も誕生。表では競技者を、
裏では兵士の足元を支えるコンバース。それによりアメリカという国になくてはならない存在となっていった。
黄金時代 1957年。オールスターのローカットバージョン=
「キャンバス・オールスターOX」が発売されるとその人気は競技者だけではなく、ファッションアイテムとして一
般消費者の間にも広まっていった。事実60年代半ばにはNBAのプロ選手の9割が、そしてバスケットボールシューズ
市場全体でも8割が「キャンバス・オールスター」によって占められていたというデータが残っている。
しかし、1968年のメキシコオリンピックにて、無敵のコンバースを脅かす存在が現れた。アディダスがレザー製の
バスケットボールシューズを発表したのだ。そこでこれに対抗し翌1969年「レザー・オールスター(通称ジャックスター)」
をリリース。これを期に時代はレザー製のバスケットボールシューズへと切り替わってゆく。
だが「キャンバス・オールスター」の人気は以前衰えることはなく、「ウエストサイドストーリー」
など数多くの名画の中でスタイリッシュに履きこなされた。憧れの「キャンバス・オールスター」。
若者たちのより最高にクールなファッションアイテムとして世界中で愛される存在となっていったのである。
またこの60年代後半には、メジャーリーガー「ルー・ブロック」のためのシグネチャーモデルや「ジミー・コナーズ」
「クリス・エバード」といったテニス界のスーパースター達のシューズなど数多くの傑作を生み出している。
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名作ラッシュ!! 70年代に入りアジアからの安いシューズが出回り始めてもコンバースはその品質をかたくなに守っていた。 1972年には「B.F.グッドリッチ社」のフットウエア部門を買収したことで名作コートシューズ「ジャック・パーセル」がコンバースのラインナップに加わった。また74年には「レザー・オールスター」の2本ラインを排除。サイドに星が一つだけというシンプルなデザインになり通称「ワン・スター」と呼ばれることになる。
1975年にはNBAの大スター「Dr.J」こと「ジュリアス・アービング」と契約。翌76年には新作「オールスター・プロフェッショナル・バスケットボール・シューズ(通称プロレザー)」を発表した。彼が好んで履いたこのシューズはいつしか「ドクターJモデル」と呼ばれるようになった。また70年代はジョギングブームが訪れた時代でもあり、コンバースも75年の「オールスター・レザー・トレーニングシューズ」を皮切りに77年の「ワールドクラス・トレーナー」や「スター・ファイヤー」など数々の名作を生み出している。
機能化のきざし。 1981年コンバース社内に「生物力学研究所」を設立。時代はスポーツシューズに新たなテクノロジーを要求し始める。 1984年のロサンゼルスオリンピックでオフィシャルシューズスポンサーとなったコンバースは、ハイテクバスケットボールシューズのさきがけ「スターテック」を各国チームに提供。あの「マイケル・ジョーダン」にも履かれた。更に86年にはそのテクノロジーを進化させた銘品「ウエポン」を発表。NBAを代表する大スター「ラリー・バード」と「マジック・ジョンソン」をブランドキャラクターに起用し、世界で100万足以上が売れる大ヒットを記録した。 変わって80年代の「キャンバス・オールスター」はよりファッショナブルになり、カモフラ柄やアニマルプリント、ラメ素材など多種多様なモデルがリリースされた。
加速するテクノロジー 1989年の「エナジーウエーブ」、更に92年の「リアクト」と画期的な衝撃吸収システムを立て続けに発表するコンバース。それを着用したシューズを着用するプレイヤー「ラリー・ジョンソン」や「ケビン・ジョンソン」もまたNBAの次世代を担うもの達であった。 1996年「キャンバス・オールスター」の伝統を受け継ぎながら最新のテクノロジーを搭載したモデル「オールスター2000」が世界同時発売される。その伝統的デティールとハイテクとの融合はその名のとおり20世紀最後を飾るにふさわしい1足であった。 また97年にはあのNBAの暴れん坊「デニム・ロッドマン」と契約。彼の髪の色や刺青などからインスピレートされたアグレッシヴなデザインのシグネチャーモデルが話題となった。
伝統は終わらない 21世紀に入りコンバースはあの内規の傘下に加わる。コンバース独自の伝統的スタイルはそのままにナイキの優れたマーケティング技術を得ることによりコンバース人気は更に加速していく。 こと日本でも「コンバース・ジャパン」の設立に伴い、日本独自企画の商品開発を強化し、注目を集めている。特に日本での「オールスター」人気はとどまることをしらず、その種類の多さは世界一といわれている。
そして2008年、コンバースは創業100周年を迎える。それを記念して発売された100周年記念モデルは大きな話題となる。 世界で最も愛されるスニーカー「オールスター」を初め、数々の名作を生み出してきたコンバース。次の100年もきっと今と変わらず愛されているにちがいない。そう思わずにはいられない不変的な魅力がこのブランドには生き続けている。
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